浦和地方裁判所 平成7年(モ)1097号 決定
申立人(被告)
飯塚直次
同
飯塚博文
同
飯塚剛司
同
飯塚保平
同
小沼敏一
同
平井保夫
同
飯塚之子
同
飯塚元一
同
山崎桂子
同
佐土原麗子
同
飯塚祥子
右一一名代理人弁護士
錦戸景一
同
二島豊太
同
石川哲夫
同
今井敬二
同
渡辺潤
相手方(原告)
ニューピス・ホンコン・リミテッド
右代表者代表取締役
ワン・ツァン・シャン
(王増祥)
右代理人弁護士
水田耕一
主文
申立人らの本件担保提供申立てを却下する。
理由
一 本件担保提供申立ての趣旨及び理由は、別紙一ないし三記載のとおりであり、これに対する答弁及びその理由は、別紙四及び五記載のとおりである。
二 当裁判所の判断
1 本件本案訴訟は、申立外サイボー株式会社(以下「サイボー」という。)の株主である相手方から同社代表取締役である申立人飯塚直次外一二名に対して提起された株主代表訴訟(不公正新株発行による差額支払等請求事件)であり、平成三年三月サイボーが申立外(被告)埼栄不動産株式会社外一社を割当先として行った第三者割当増資(以下「本件新株発行」という。)に関して、取締役会決議において著しく不公正な発行価額が定められたことにより、サイボーに総額八三億九八〇〇万円相当の損害が生じたとして、相手方が、サイボーのために、当時の取締役又はその相続人である申立人ら各自に対して商法二六六条一項五号、二六七条二項に基づき損害賠償等を求めるものである。
2 そこで、検討するに、商法二六七条六項、一〇六条二項にいう「悪意に出た」とは、担保提供命令による担保が不当訴訟により被告に生ずべき損害賠償請求権を担保するものであることから考え、提訴株主において、当該訴訟の提起が代表訴訟制度の趣旨、目的に照らして著しく相当性を欠き、いわゆる不当訴訟の提起として違法性を帯びることになるにもかかわらず、あえてこれをなしたものと評価し得る場合をいうものと解すべきである。
3 これを本件についてみると、申立人らは、サイボーが東京証券取引所市場第二部上場会社であることから、本件新株発行における公正な発行価額については最高裁判所昭和五〇年四月八日判決において示された基準を適用してこれを判断すべきところ、本件新株発行における一株八〇一円という発行価額が、右最高裁判決の示した基準に依拠して当時の市場価格を基礎に定められたことは明らかであるにもかかわらず、相手方が、本件において問題とする余地のない純資産価額法による株式の評価などを持ち出して、サイボー株式の公正な価格が一株五〇〇〇円を下らないとしていることは、事実的、法律的な根拠を欠くものであるうえ、相手方がそのことを知りながらあえて訴えを提起したことは疑いがない旨主張する。
そして、一件記録によれば、サイボーの株式が東京証券取引所市場第二部に上場されていること、本件新株発行における一株八〇一円という発行価額が同市場における当時のサイボー株式の市場価格を目安に定められたことは、一応認めることができる。
しかしながら、本件訴状における相手方の主張をみると、相手方は、サイボーの株式の東京証券取引所における売買出来高が極度に少なく、同取引所における売買取引を通じて公正な株価が形成されることを期待し得る状況には全くなかったとして、そのような売買出来高の下で形成された株価をもって新株発行の際の公正な発行価額の基準とする余地はなく、サイボーの株式につき新株発行の際の公正な発行価額を算定するためには、すべからく非上場株式の評価のためにとられる手法によらなければならないことが知られる旨強調するものであり、しかも、疎明資料によれば、本件新株発行前のサイボーの発行済株式総数は一二〇〇万株であったところ、当時の同社の株式の東京証券取引所市場における売買出来高は、平成二年一〇月四〇〇〇株、同年一一月二〇〇〇株、同年一二月一〇〇〇株、同三年一月八〇〇〇株、同年二月一万四〇〇〇株、同年三月取引なしと低い水準で推移していたことも一応認められるところである。
そうすると、上場会社が第三者割当増資を行う場合には当時の市場における株価を基礎に新株の発行価額を定めるべきであるということが一般的にはいえるとしても、本件において、右株価を基礎に発行価額が定められたというだけで直ちにその発行価額が公正なものといえるかどうかは、申立人らが援用する前掲最高裁判所判決の示した基準に照らしても、なお慎重な検討を要するというべきであって、結局、それは、本件本案訴訟における今後の双方の主張立証をまって判断すべき性質の問題とみるのが相当である(申立人らは、仮に本件新株発行前のサイボーの株式の売買出来高が少ないことをもってその市場価格が時価を反映していないというのであれば、それは、一株八〇〇円前後という当時の市場価格が高すぎたからこそ買い手がつかなかったということにほかならないとして、八〇〇円前後でも中々買い手のつかなかった株式を五〇〇〇円と評価すべきであるとする相手方の主張が理論的な一貫性を欠くことを指摘するが、売買出来高が低水準であった要因を現時点で得られた疎明資料により特定し得るとは言い難いことに鑑みると、申立人らの右指摘の当否も、やはり今後の審理をまって判断すべき事項の一つというべきである。)。
その他、一件記録によれば、相手方は、純資産価額法による評価をした場合の本件新株発行当時のサイボーの株式の公正な価格につき、不動産鑑定機関を通じて行った調査結果に基づいて、それが一株五〇〇〇円を下らない旨主張しているものと一応認められること等をも勘案すると、現時点での疎明によっては、本件新株発行における公正な発行価額に関する相手方の主張が事実的、法律的な根拠を欠くものであって、本件本案訴訟の提起が代表訴訟制度の趣旨、目的に照らして著しく相当性を欠くものであるとは認めることができない。
4 右のとおりであって、本件担保提供の申立ては、本件本案訴訟の提起が悪意に出たものであることの疎明が不十分であるから、これを却下することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官前島勝三 裁判官川島貴志郎 裁判官小川賢司)
別紙二 準備書面(一)〈省略〉
別紙三 申立人準備書面(二)〈省略〉
別紙五 〈省略〉
別紙一 申立の趣旨
相手方は、浦和地方裁判所平成七年(ワ)第二四五号不公正新株発行による差額支払等請求事件の訴え提起の担保として金二億八二〇〇万円を供託することを命ずる
との裁判を求める。
申立の原因
一、申立人らのうち、飯塚直次、飯塚博文、飯塚剛司、飯塚保平、小沼敏一及び平井保夫は申立外サイボー株式会社(以下、「サイボー」という。)の取締役であり、飯塚之子、飯塚元一、山崎桂子、佐土原麗子及び飯塚祥子は同社の代表取締役であった飯塚茂(平成四年七月死去)の共同相続人である。
二、相手方は、香港所在の法人であり、サイボーの株主である。
三、相手方は、平成七年二月一五日、申立人ら及び申立外埼栄不動産株式会社(以下、「埼栄不動産」という。)及び同埼玉興業株式会社(以下、「埼玉興業」という。)を被告として、浦和地方裁判所に対し、不公正新株発行による差額支払等請求事件(株主代表訴訟)を提起した。
四、相手方の主張の詳細は訴状のとおりであるが、要するに平成三年三月七日の取締役会において決議し、実施された、記名式額面普通株式二〇〇万株(額面金五〇万円)を発行価額金八〇一円、払込期日平成三年三月二三日、第三者割当の方法により埼栄不動産及び埼玉興業に割当てた新株発行(以下、「本件新株発行」という。)における発行価額は不当に低く、これは明らかに不公正な価額による新株発行であるから、本来の公正な価額(一株あたり金五〇〇〇円)により発行したならば会社に払込まれたはずの金一〇〇億円と、不公正な発行価額に基づき現実に払込まれた金一六億〇二〇〇万円の差額である金八三億九八〇〇万円の損害につき、申立人らは各自の負担割合に応じた金員をサイボーに支払え、というものである。
五、しかしながら、相手方の右主張には全く根拠がなく、訴えの提起が悪意に出たるものであることは明白である。以下、詳論する。
1 商法は第三者割当において「特に有利なる発行価額」による場合には株主総会における特別決議を必要とし(同法二八〇条二項)、また新株の引受人が取締役と通じて「不公正なる発行価額」で引き受けた場合に公正なる発行価額ととの差額を会社に対して支払うよう規定している(同法二八〇条の一一)。
これは、新株発行時の旧株主の経済的利益を守るために他ならない。
すなわち、不当に時価より廉価な発行価額で新株発行を行うと相対的に旧株主の所有する株式の価値が下落してしまうことから、旧株主の利益を害するような新株発行を行う場合は、事前には株主総会の特別決議により承認を得る必要があり、承認なしに不公正価額による発行を行った場合には事後的に取締役のみならず引受人にも公正な価額との差額を事後に払込ませることにより、旧株主の経済的利益を守ろうとしたものである。
2 この問題に関するリーディングケースである最高裁判所昭和五〇年四月八日(民集二九―四―三五〇)は、新株発行における公正な発行価額は次のように定められるべきであると述べている。
「普通株式を発行し、その株式が証券取引所に上場されている株式会社が、額面普通株式を株主以外の第三者に対していわゆる時価発行をして有利な資本調達を企図する場合に、その発行価額をいかに定めるべきかは、本来は、新株主に旧株主と同等の資本的寄与を求めるべきものであり、この見地からする発行価額は旧株の時価と等しくなければならないのであって、このようにすれば旧株主の利益を害することはないが、新株を消化し資本調達の目的を達成することの見地からは、原則として発行価額を右より多少引き下げる必要があり、この要請を全く無視することもできない。そこで、この場合における公正発行価額は、発行価額決定前の当該会社の株式価格、右株価の騰落習性、売買出来高の実績、会社の資産状態、収益状態、配当状況、発行ずみ株式数、新たに発行される株式数、株式市況の動向、これから予測される新株の消化可能性等の諸事情を総合し、旧株主の利益を会社が有利な資本調達を実現するという利益との調和の中に求められるべきものである。」
したがって、取引所の相場のある株式の場合には発行価額決定前の市場価格を参考にしたうえで株式市況の動向、新株の消化可能性等を加味して決定されることなり、現在の実務の趨勢も右の最高裁判所の定立した基準にしたがって運用されていることは社会的な常識である。
3 本件では、相手方自身が訴状において認めているように、サイボーは東京証券取引所市場第二部に上場しており、市場価格が存する株式であり、なおかつ八〇一円という発行価額は当時の市場価格を基礎に定められたものである。
したがって、本件新株発行が公正な発行価額で行われたことは相手方の作成した訴状の記述からも明らかである。
4 この点につき、相手方は、発行価額決定前のサイボー株式の出来高は異常に低いと断定し、当時の市場価格は同株式の時価を反映しておらず、同株式は純資産方式で評価すべきであると主張する。
しかしながら、取引所の相場を通じて形成される市場価格は、当該株式を取得しようとする者なら誰でもが取得できる価格であり、かかる価格はその時点での会社の資産、営業成績、将来性等あらゆる要素を考慮して決定されるものであり、これ以上公正な価格はあり得ないのであるから、市場価格が存在する以上同価格が基礎とされるべきであり、純資産方式による評価など問題になる余地はない。
また、仮に相手方の主張どおり、本件新株発行前のサイボー株式の出来高が低いから市場価格は時価を反映していないというのであれば、それは当時の市場価格(一株あたり八〇〇円前後)が高すぎたからこそ買手がつかなかったということに他ならず、相手方の主張としては公正な発行価額は一株あたり八〇〇円前後より安価であるべきだとならなければならない(前述の最高裁判所の定立した基準における「新株の消化可能性」はかかる文脈において理解されるべきものである。)。
ところが、相手方の主張はこれとは全く逆に八〇〇円前後でも中々買手がつかなかった株式を五〇〇〇円で評価すべきだというものであり、理論に一貫性がなく、明らかに矛盾している。
この点だけをとってみても、相手方の主張は全く根拠がなく、訴えの提起が悪意に出たものであることは疑いない。
5 取引所の相場ある株式の場合は市場価格こそが時価なのであり、時価を基準に発行価額を決定した以上、当該価額が公正な発行価額であることは否定のしようがないのである。この当然の理を否定しようとすれば、相手方の主張のように大いなる矛盾が生じざるを得ないのである。
六、近時の法改正により、代表訴訟提起に際しての貼用印紙額が一律に八二〇〇円と定められたことにより、安易に代表訴訟を提起し、会社取締役側を困惑させ、これに乗じ、不当な利益を得ようとするケースが散見されるが、このような利用方法は正しくない。
代表訴訟はあくまで会社ひいては株主の適正な利益を守る為に存在する制度であり、この本来の目的を超えて濫用されるようになると、制度の趣旨が没却され、代表訴訟に対する認識を誤らせ、制度自体の閉塞性を招きかねない。
かような事態を防ぎ、適正な代表訴訟制度を維持する為には、本件のような明白な悪意に基づく訴訟提起に対しては、裁判所が厳正な態度で臨む必要がある。
具体的には、一方的に訴えられる立場にある取締役側に与えられている数少ない防衛手段である担保提供命令の申立を認め、原告である相手方が真摯に提訴したものかどうかを見極めるべきである。
七、以上見てきたように、相手方は事実的、法律的根拠を欠く上、そのことを知りながらあえて訴えを提起したことは疑いなく、かかる提訴は株主代表訴訟制度の趣旨、目的に照らして著しく相当性を欠くものであり、悪意のあることは明らかである。
八、相手方の本件提訴により、申立人らの被る損害は次のとおりである。
1 弁護士費用 金二億五〇〇〇万円
本件訴訟の訴額は金九五万円(経済的利益が算定不能な場合)であるが、弁護士費用の算定基準としての申立人らの経済的利益はそれぞれの被請求額となる(請求認容判決の場合にはそれぞれの被請求額についての債務名義となるからである)。
申立人らの訴訟代理人らの所属する第一東京弁護士会報酬基準によれば、金八三億九八〇〇万円の経済的利益に対しての着手金及び報酬の標準額はそれぞれ二億五〇〇〇万円以上となる。
右基準にしたがって、申立人らの弁護士費用(着手金・報酬)を計算すると申立人ら全員の経済的利益が共通であると考えても、弁護士費用は総額で金五億円以上となる。
しかし、本申立における申立人らの損害額の計上では、右報酬基準のうち報酬額の基準である二億五〇〇〇万円を挙げる。
2 訴訟遂行のための雑費 金一〇〇〇万円
本件事案の性質からすると、申立人らは訴訟遂行のための文書の作成費用、調査費用、不動産鑑定費用等として総額で少なくとも金一〇〇〇万円の支出は避けられない。
3 損害賠償請求債権 金二二〇〇万円
申立人ら各人の被る損害は精神的慰謝料等を含め、一人当たり金二〇〇万円を下らない。よって総額で金二二〇〇万円の損害賠償請求債権がすることになる。
したがって、担保提供金額としては金二億八二〇〇万円が相当である。
九、よって、申立人らは申立の趣旨記載のとおりの決定を求める。
別紙四 申立の趣旨に対する答弁
申立人らの本件申立を却下する。
との裁判を求める。
申立の原因に対する答弁
一、第一項ないし第四項は、認める。
二、第五項は、争う。
1.申立人らは、最高裁昭和五〇年四月八日第三小法廷判決を、その主張の論拠として引用している。
しかしながら、右の最高裁判決の示す新株の公正な発行価額の決定基準は、「発行価額決定前の当該会社の株式価額、右株価の騰落習性、売買出来高の実績、会社の資産状態、収益状態、配当状況、発行ずみ株式数、新たに発行される株式数、株式市況の動向、これらから予測される新株の消化可能性等の諸事情を総合し、旧株主の利益と会社が有利な資本調達を実現するという利益との調和の中に求められるべきものである。」というものである。
これによってみれば明らかなように、最高裁判決は、取引所に上場されている株式につき、発行当時の市場価格を基礎に定めるべきものとする見解は示していないのである。
殊に、最高裁判決は、当該会社の株式の売買出来高の実績及び会社の資産状態を考慮すべきことを明瞭に示しているのである。
しかるに、本件新株の発行に際して、売買出来高の実績や会社の資産状態が考慮された事実は、申立人らの主張しないところであり、またそれを認めるべき疎明もない。
2.しかも、最高裁判決の事案は株式会社横河電機製作所(現在の商号「株式会社横河電機」)の株式に係るものであるところ、サイボー株式会社の株式に比して、売買出来高には次のように雲泥の相違がある(前者の出来高は、平均して後者の一万倍を超えている――疎明資料疎乙第一号証の二及び三参照)。
(1) 株式会社横河電機株式の出来高(下部の棒グラフ――単位は百万株)
(編注・本頁第一段)
(2) サイボー株式会社株式の出来高(下部の棒グラフ――早位は千株)
(編注・本頁第二段)
このように売買出来高に雲泥の相違がある二つの株式につき、両者を同じ基準で律しえないことは余りにも明らかである。
本件新株発行前の六か月間におけるサイボー株式会社株式の売買出来高をみると、訴状に指摘した如く、次のように僅少である。
平成二年一〇月
四千株
同 年一一月
二千株
同 年一二月
一千株
平成三年 一月
八千株
同 年 二月
一万四千株
同 年 三月
〇株
したがって、申立人らの引用する最高裁判決の見解によっても、このような僅少な売買出来高については、当然に考慮が払わなければならないことが明らかであって、
「取引所の相場ある株式の場合は市場価格こそ時価なのであり、時価を基準に発行価額を決定した以上、当該価額が公正な発行価額であることは否定のしようがないのである。」(申立書八頁末行〜九頁二行)
とする申立人らの主張が失当であることは、余りにも明白である。
3.なお、申立人らは、「当時の市場価格(一株あたり八〇〇円前後)」は、それが高すぎたからこそ買手がつかなかったことを示すものである旨の主張をしている(申立書八頁三行〜六行)が、逆にそれが低すぎたからこそ売手が現われなかったと考えることももとより可能であり、申立人らの主張は、自らの思考力の貧弱さを示すものとしか言いようがない。
4.以上にみたとおり、本件訴えの提起を悪意に出たものとする申立人らの主張は、その余の点を検討するまでもなく主張の根拠を欠き失当であるから、速やかに却下の御決定を賜わりたい。